山浦玄嗣

重油と下水と魚の死骸が混じった真っ黒で粘っこい泥をなんとか片づけ、14日の月曜日から医院を開けました。津波の後には寒い日が続きました。患者さんは停電し暗い待合室で、私が用意した毛布にくるまっていました。60人はいたでしょうか。患者さんには薬が必要なのです。不通になった鉄道の線路伝いに、家族のため雪で真っ白になり2時間かけ歩いてきたおじさんがいました。「遠いところ悪いが、5日分しか出せないよ」と言うと、ひとこと「ありがたい」。2時間かけて帰っていきました。もっと欲しいと言った患者さんもいます。でも「薬はこれだけしかない」と諭すと、はっとした顔になり「おれの分を減らして、ほかの人に」と譲りあってくれました。 「ががぁ(妻を)、死なせた」。目を真っ赤にしながらも涙をこらえた人。「助かってよかったなあ」と声をかけると、「おれよりも立派な人がたくさん死んだ。申し訳ない」と頭を下げた人。気をつけて聞いていましたが、だれひとり「なんで、こんな目に遭わないといけねえんだ」と言った人はいません。